時を束ねて リボンをかけて

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ただのひとりごと。

昨日何気なくつけたテレビで、記憶喪失の青年の過去の自分を探す様子が映されていた。
途中から観たので、詳しいことはわからない。
前回もこの青年を取り上げたらしいが、その番組のことは知らない。

本名が分かっても、新しい名前で生きようとしているのなら、それでいいのではないだろうかと思ったけれど。
もっと、今の環境に慣れてから、過去の自分に向きあえる自信がついてから、過去の自分を知りたいと思っても遅くはないと思ったが。

何度も胸が痛くなった。
この青年の過去が決して幸せだったものではないと思えると、余計つらい旅路に出かけているようで胸が詰まった。

専門的なことはわからないが、記憶喪失になるということは、それは心が要求したのだろう。
自衛的に心が要求したのなら、それを無理に掘り起こすことが必要なのだろうか?
テレビ的にはそういう方向にして、過去の自分を知る人に会わせて、感動的な話に持っていきたいのかもしれないが、見ているほうが辛くなる。
どこのだれかが分かっただけで、それでいいのではないか。

忘れたい過去がある。
葬りたい過去がある。
心が苦しかった時の自分に、私なら会いたいとは思わない。 
カサブタになりかかった傷が、またぱっくり開きそうな気がするから。

テレビを観ていて、ただただ悲しかったのは、この若さでそういうものがあるということ・・・。




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