時を束ねて リボンをかけて

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家を売った。



築50年の我が家を売ろうと思ったのは、実はかなり早くからだ。
両親の建てた家。
家は借地だったが、地主の都合で売りに出た。
近所では買う人もいたし、買わない人もいた。
我が家は兄が買った。
その時はまだ、兄は両親の住む家に帰ってくる気があったのかもしれない。
しかし他市の兄の妻の実家の近くに家を建て、その建築資金が足りないからと、私にその土地を売りつけてきた。
そのころ私は、県営住宅に住んでいて、多少の付き合いのわずらわしさはあっても、満足していた。
今考えれば、あの県営住宅に住んでいたころが、一番私の幸せな時代だったような気がする。
私は家は雨風がしのげればそれでいいという考えだし、持ち家にこだわる気持ちはなかった。
あまりの兄のしつこさに根負けして、私は兄が購入した価格で、20年のローンを組んで土地を買った。
私にしてみれば、借金をしたという気持ちのほうが大きく、財産を持つという気持ちは毛頭なかった。
だから、考え方を変えて、貯金の代わりにこの土地を得て、何かあれば損をしたとしても売却をすればいいと考えた。
立地条件としては、かなりいい場所だったから。

父が亡くなって、上物の家は私が相続した。
それは残された母の面倒も私が看るという、兄弟たちの暗黙の押しつけがあったと思う。
そういう兄弟たちも、もうこの世にいない。
みんな早すぎる死だった。


20年のローンを15年で返済することができたが、6DKの家は私には重荷だった。
一人で暮らすには広すぎたし、そして3,11があった。
一部損壊という判定だったから、どこからも支援がなく、自力再生するしかなかった。
修理してもきりがなく、一番の悩みは屋根だった。
応急処置はしたが、2,3年しかもたないとが業者に言われ、もうその時に腹は決めたのだ。
家を解体して更地で売ろうと。

体のあちこちに不具合が出てきていた私に、追い打ちをかけるようにひどい人間不信に落ちる出来事も重なった。
私は心底人間嫌いになった。
他人と関わることに疲れてしまった。



自分を解放したい。
働きながら一人で両親を看取り、一人で息子を育て上げ、もう充分働いてきた。
仕事なんてしたくない。
これ以上、この地にいることに意味が見いだせない。
私を縛るものは何もないはずだと思った。

そうして、私は自宅を売却したのだ。
東日本大震災から6年目に入った3月12日に。



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